電気と保安 2019年 夏季号 Vol.278 東北電気保安協会
5/24

どらやきコロドーナツバウムクーヘン3を感じます。田中:確かに、昭和26年に最中を作り始め、54年にはお餅を作っています。その後、2代目から現社長田中洋に代わり、平成30年にはどらやきを作っているわけです。今はこれがいいけれど、1年先、5年先、10年先は違うかもしれない。何が売れるのか、お客さまは何を欲しがっているのか、それはすぐに変わるし、今の時代はそれがすごく早いので、それに対して私たちが食という切り口でどこに行けるのかということは考えておかなければいけないことと思っています。渡邉:そうした会社の歴史の中で、東日本大震災は衝撃的なできごとになりましたね。田中:工場が八戸の岸壁にありましたので、壊滅的な被害を受けました。当時、私はまだ学生で東京にいましたが、3日後にようやく八戸に駆けつけ、この世の終わりかと言うほどの光景を目の当たりにしました。   会社は閉業のまま、なすすべもなく途方にくれていました。ただ多くのボランティアの方にご支援いただき後片づけを続けていましたが、1年経つか経たないかくらいの時に、国の東日本大震災事業者再生支援機構というのが立ち上がり、そこから声がかかり工場再開への方向に動き始めました。   しかし問題は資金や設備のこと以外のところ   困り果てていたときに、周りから「日持ちのするお菓子から始めてみたら」という声がかかって、それは何だろうと考えていてどらやきという案が出てきたんです。   しかし、どらやきを作る基本は見えたものの、人材もいない、技術もない、新しいパートさんに教育もできない。いわば会社の土台がまったくない状態です。もともと会社としての理念や人づくりの考え方を持っている会社ではありませんでした。そのことが、震災によって露になったということだと思います。渡邉:会社の存在意義や使命のようなものですね。理念があって、働き方やお客さまへの対応など目線をそこに持っていくことができれば、何もないところでやるのとまったく違ってきますね。田中:ふだんから社長がよく話していたことをまとめただけですが、「精神でお客さまと感動の共有をしなさい」「全員が好奇心旺盛で活動的でありなさい」「こだわりとオリジナリティー溢れる商品を作りなさい」という当社の経営理念は、この時にできたものです。   併せて私たちの強みはなんだろうと自分たちの中で整理してみました。私たちは他社メーカーさんのようにナショナルブランドの商品も作っていますが、それ以上にOEM生産もにありました。かつての市場はもう奪われているし、商品づくりのレシピも流出し、震災前に働いていた人は他社に行ったりしてほとんど戻ってきませんでした。働くための拠り所とは食品安全の国際認証規格を取得し、安全安心をテーマに世界に飛躍する地元の企業。

元のページ  ../index.html#5

このブックを見る