電気と保安 2019年 冬季号 Vol.276 東北電気保安協会
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所要約30分の「宗太夫坑」(江戸金山絵巻コース)内の休憩所の様子所要約40分の「道遊坑」(明治官営鉱山コース)の内部の三菱合資会社に兵庫県の生野鉱山、大阪精錬所とともに払い下げられました。その後、三菱鉱業株式会社(現・三菱マテリアル)に引き継がれて経営してきましたが、平成元年3月末、操業を終了しました。   以降は、「史跡 佐渡金山」として私ども株式会社ゴールデン佐渡が管理・運営をしています。坂本:そうすると佐渡金山は、ほぼ400年近い長い歴史を積み重ねてきた貴重な遺構ということですね。それでは「史跡 佐渡金山」の施設的な特徴について教えてください。浦野:まず史跡・文化財としての評価としては、古く昭和42年(1967)に相川地区関係の一部が国史跡に指定答申が出ております。平成19年、経済産業省が近代化産業遺産群として認定しています。平成24年には建造物の一部が国の重要文化財に指定されました。また平成27年には、相川地区・北沢地区の施設などについて国の重要文化的景観として選定されています。   佐渡金山の採掘坑道は、広大なエリアにアリの巣のように広がっています。現在はその中で、基本的に2つの坑道を一般公開しています。1つは、江戸時代初期の手掘りの様子を再現した坑道「宗太夫坑」で、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現しているコースとして人気です。もう1つは「道遊坑」といって、明治以降の近代の採掘跡のコースです。いずれも国史跡となっています。当施設の歴史的価値・意味合いは、江戸時代から近代に至る金山の変遷の様子をまるごと見ることができるという点です。開山から現在に至る歴史的資料も含めて、鉱山技術と生産システムの変遷のほぼすべてを見ることができる、世界でも例のない貴重な遺構が残っています。   私の見解ですが、江戸時代の鉱山技術が明治になり西洋から入ってきた技術にスムーズに移行したプロセスの証拠が、ここにあると思っています。江戸時代ここで働いた技術者たちは主に下級の侍でした。私は侍エンジニアと呼んでいます。そうした技術系の武士たちの尽力が土台にあって、それが西洋から来た技術とマッチして、その後の日本の近代化のベースになったのではないかと考えています。3国史跡の坑道を探る豊かな自然の中に溶け込み、佐渡金山400年の歴史を物語る産業遺産。

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