電気と保安 2018年 冬季号 Vol.272 東北電気保安協会
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3坂本:酪農振興について時代に先駆けた考え方を持ち、会社設立後も、いろいろ技術的な追求など業界に先駆けた取組みをされたわけですね。本間:その後、時代はだいぶ移り変わりますが、進展してきた乳製品業界の全国展開という流れの中で、昭和35年(1960)に森永乳業の資本を受け入れて子会社となる選択をしました。昭和36年には山形工場を建設して市乳事業に参入し、さらに高畠町糠野目工場を立ち上げてチーズ事業も開始しました。その後は、森永乳業の全社的な再編で、市乳事業は森永の仙台工場に集約され、バター・粉乳など乳製品事業は、福島・郡山工場に集約されます。日本製乳としては平成20年(2008)より、創業の地である高畠町に本社・工場を構え、ミルクケーキとチーズを中心に製造販売しているという経過です。坂本:日本製乳さまの商品と言えば「おしどり粉ミルク」や「おしどりミルクケーキ」など「おしどり」という名前がブランドになっていますが、名前の由来はどういうことだったのでしょうか。本間:創業当時は、そもそも粉ミルクというもの自坂本:なるほど、生産者と販売者のお互いの絆とい本間:そうです。そのような絆を大切にする気持ち、助け合い精神は、現在に至るまで当社の中で伝統的に受け継がれています。東日本大震災の時には、森永乳業との連名で、非常食として簡便なミルクケーキ2万5,000袋を支援物資として高畠町に寄贈し、被災者に届けました。坂本:少し甘くて栄養もあって、さぞ喜ばれたので体がほとんど知られていない商品で、地元で売ろうにも売れない、それならいっそ東京銀座から粉ミルクを広めていこう、もっと日本中に広めていこうという計画にした、と聞いています。製造は日本製乳で行い、販売は東京銀座の長井越作商店にお願いしたという事業でした。この時に、生産者と販売者が一体になり、助け合い精神をもって日本全国に新しい粉ミルクというものを広めていこうじゃないかという思いを込めて「おしどり」と名付けたというわけです。うことですね。創業当時の工場内部主力商品「おしどりミルクケーキ」。定番のミルクのほか、ブルーベリー、さくらんぼ、ラ・フランスなどさまざまな味がある昭和の初め頃、画期的な製法で販売された「おしどり粉ミルク」。手前は「おしどり純良バター」名前に助け合いの思いを込めてみんなに愛され続ける郷土のお菓子は時代に先駆けた発想と製品づくりから生まれた

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