電気と保安 2018年 冬季号 Vol.272 東北電気保安協会
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宿い村井2じゅくむら(現高畠町)生まれの梅津勇太郎という人物です。地元では小学校の副読本に載っているような郷土の偉人の一人です。明治29年19歳の時に、酪農振興を目指して時の農商務省に国有林の払い下げを嘆願し、宮城県七ヶ宿に牧場を造成しました。農家の繁栄のためには畜産も一緒に併せて行う「有畜農業」が必要と考え、牛を飼い始めたのがそもそもの発端でした。明治45年(1912)には製酪事業を開始し、大正3年(1914)に粉ミルクの開発に成功したと伝わっています。大正8年(1919)には、高畠町に工場を造り地元酪農民100%出資により日本製乳が設立され、粉ミルクの製造販売を開始しました。ただ当時は、直接粉ミルクを製造する機械が日本にはなく、練乳を原料にして、それを濃縮させたせんべい状のものを細かく砕いて粉ミルクとしていました。さらに加糖した練乳を乾燥させたものを、「ミルクケーキ」と名付けて新しい商品として売り出すとともに、粉ミルクの製造方法を「遠心乾燥法」という当時としては画期的で、今現在も使われているような乾燥方法に変え、「おしどり粉ミルク」という名前で日本全国に発売を開始しました。今季号のお客さま坂本:大正8年(1919)の創業ということで、ほぼ100年近くにわたる歴史になりますが、創業当時のお話やその後の経緯についてお聞かせください。本間:創業者は、明治9年(1876)二に日本製乳株式会社代表取締役社長本間 寿弘さま 山形県民に昔から愛され、親しまれているお菓子があります。薄い板状になっていて、パリッと食べたり、なめたり、やさしい甘さのミルク味がなんとも懐かしい。そうです「おしどりミルクケーキ」。山形を代表するおみやげ品としても人気です。この「おしどりミルクケーキ」を製造販売しているのが高畠町に本社・工場がある日本製乳株式会社さま。 本日は、日本製乳株式会社 本間寿弘社長をお訪ねし、弊協会常務理事 坂本邦夫がお話しをうかがいました。東北電気保安協会常務理事坂本 邦夫山形県高畠町に立地する日本製乳さまの本社・工場創業100年におよぶ古い歴史山形県高畠町 日本製乳株式会社 さま

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