電気と保安 2017年 夏季号 Vol.270 東北電気保安協会
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工場内では、一人ひとりが工夫をこらして作業管理に携わっている4代理店さんに好評で、仕事がどんどん増えました。山下:なるほど、その時に回られたところが現在の商圏につながっているんですね。「アステム」という会社の名前の由来を聞かせてください。野口:先ほどの出資の条件の1つが、社名の変更でした。「アステム」のアス(AS)は明日のアスです。資金繰りばかりをやっていて未来を語れる会社じゃなかったので、何とか「明日こうしよう」という前向きな名前にしたいと思いました。「TE」はテクノロジー。かつて格別な技術がないために仕事がなくなりましたが、これから技術だけは蓄えていきたい、そういうメーカーにならなければということで「M」を付けて「ASTEM」としました。山下:最初は従業員ががんばってくれて納期を縮めたということですが、そのやり方では当然限界が出てきますね。野口:生産管理とか生産技術という考えをまったく理解していませんでした。そこで、吹出口でNo.1の福岡県の「空調技研工業」さんに「技術を教えてください」とお願いに行きました。その時私は35歳、OEM先として育てていこうと思っていただいたのか、平成9年の秋ごろ福岡県から指導者の方がいらしてダンパーという製品の作り方を教えてもらうことになります。この時初めてモノづくりとは何かということがわかり、超原始的なモノづくりから生産性を考えたモノづくりという考え方に飛躍的に変わっていくわけです。山下:社長のお人柄がすごく率直で、だからこそ功を奏したという印象を受けます。従業員の教育とか接し方というものに対しては、何か特別な思いをお持ちですか。野口:当社の企業体質が変わる起点がありました。   この時、私は本気で会社の改善策を考えようと決めました。それからは、ISOを取得したり、コンプライアンスの遵守に取組んだり、労働安全衛生を重視する方向に一気に動き、平成14年(2002)のことですが、社会保険労務士さんが「社内アンケートの公共版があるのでそれをやってみませんか」と言うので、私とすれば売上が伸びてボーナスも出ていて、みんな満足しているだろうと思って受けさせてみました。ところが社労士さんは「社長が思っているのと社員が思っていることは違いますよ」と話します。報告書を見たら、手が震えるほどショックでした。「仕事優先で人間が軽視されている」「会社の経営が不安だ」「給料安い、ボーナス安い」「残業時間を減らしてほしい」などと書いてありました。「このような調査をするのは会社が社員のことを考えてくれている証拠だ」という1行だけは救いでした。未来を語る思いを込めた社名

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