電気と保安 2017年 夏季号 Vol.270 東北電気保安協会
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アステムが製造している空調関連機器3ました。別の商品を取扱い、業態変更するという話も出ましたが、設備や代理店権料が高額でとても無理と思いました。父はそれでもやると言い、私はモノづくりに徹した方がいいと意見が分かれ、結局、私は平成7年(1995)に角田に異動となりました。その頃の角田は、仕事も入らず、賞与も出ない、みんなが不安がっているという悲惨な状況でした。山下:川崎もたいへんな時期、角田もたいへんな状況だったわけですね。野口:結局、川崎の方もうまくいかず平成8年に不渡りを出し、会社を売却するか、第三者割当増資に乗ってもらうか実質上の再建計画を立てるほかありませんでした。結果として、今は当社の株主ですが山形県のヤマケンマシナリーさんに多額の出資をしていただき救われました。その時に出した計画が、空調の吹出口・ダンパーの受注生産でした。私は、短納期それも中2日のようなビックリするほど短納期でいけば活路があると考え、実行することにしました。山下:まさにジャストインタイムですね。野口:そうです。建設現場では足場が組まれる期間が決まっていて、もし明日外すという時に製品がまだ来なかったら最悪です。だったら間に合うメーカーがあれば、1万円のところを3万円出してもいいぐらいだという価値観が生まれる。つまり、短納期という付加価値です。山下:御社のビジネスモデルの特徴は何だろうと思っていたのですが、納期ですか。しかし、それを実現させるには工程からなにから全野口:当時、私は都合1億円以上の保証を負っていましたが、頭の中に破産という考えはありませんでした。絶対にやらなくてはいけないと思い、当時20数名の従業員を集めて「このたいへんな時代に短納期の付加価値を付けた製品を作っていくので、何とか力を貸してくれないか」と話し、みんな協力してくれました。   私は資材の代理店さん1店1店に「短納期にお応えします」という話をして回りました。宮城から北関東、神奈川・静岡、名古屋手前で北上して、長野、新潟から山形を通って戻るというルートでした。ちょうど長野では冬季オリンピックを前にアイスアリーナを作っている時でした。工期をあせっている長野の部、作り方も考えないと、とても2日では無理ですよね。北関東、東海、信越まで商圏に人を大切にしたモノづくり、お客さまを大切にしたサービス業であること

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