電気と保安 2015年 冬季号 Vol.260 東北電気保安協会
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安積疏水幹線新安積幹線■:受益地現在の安積疎水管内図ファン・ドールン像ようという考え方と行動力は、明治でも驚異的なことだったと思います。 そもそも猪苗代湖の水は、すべて日本海側に流れていたわけです。それは湖の東側に分水嶺である奥羽山脈があるからです。東に流れるわけがないわけです。それをやってのけたのが、安積疏水なんです。 郡山市歌に「天の時あり地の利あり人の和ありて事の成る」という歌詞がありますが、ちょうど内務卿 大久保利通や開拓事業の存在があったという好機があ者 中り、地元では阿部茂兵衛が人を集めたり郡山財界の人たちが資金集めに尽力した、まさしくそれらの結集によって事が成就したのだと思います。條恒政3まさなかじょうつね石岡:東側に水を流すために、奥羽山脈にトンネルを貫通させたんですね。そんな桁外れの大工事で、たいへんな困難があったかと思いますが、わずか3年で完成させたそうですね。本田:そうです。着工前年に総監督オランダ人技師ファン・ドールンによって現地調査が行われ、明治12年から始まって、水路の延長127km、受益面積約3,000ヘクタールになるという工事を、延べ85万人の労力をかけてわずか3年で完成させました。工事については、蒸気機関からダイナマイトまで使っていて、当時の明治政府の最新技術をすべて導入していました。外国の技術を導入して、日本の国内のインフラを早急に整備しようという国家的大事業だったのだと思います。 伊藤博文、大久保利通など明治政府のリーダーが外国を見てきて、日本が生き残るには国力を上げるしかないんだと考えていた。その熱意があったからこそ、技術も労働力も惜しみなく注ぎ込んだのだと思います。延べ85万人の労力で難工事を完遂水を通し、大地を潤した歴史が今に。安積疏水は、明治時代の国家プロジェクト。

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