電気と保安 2014年 秋季号 Vol.259 東北電気保安協会
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酒株2株式会社佐浦代表取締役社長佐浦 弘一さま今季号のお客さま─ 本日は、お忙しいところ、貴重なお時間を頂戴し、ありがとうございます。早速ですが、御社は享保九年(1724年)の創業とお聞きしていますが、その後の沿革について教えてください。酒造りというのは、江戸時代から免許制度になっており、どなたかがお持ちになっている(実際に酒造りをされている)酒造免許、昔は「酒さけ」と言ってましたけど、その酒株を譲渡されないと酒造りが出来ませんでした。免許は、酒造許可の他、量の制約もあり酒造りの規模はそれによってだいたい決まっていました。当社は、最初は糀造りをしていましたが、その後、酒造免許の譲渡を受けて酒造業を始め、伊達氏からの御下命で塩竈神社に御神酒を納めるようになりました。8世紀に国府「多賀城」が置かれ東北地方全体を治めていましたが、塩竈はその玄関口として栄え、特に江戸時代に入ると仙台藩(伊達家)は塩竈神社の門前町である塩竈の衰退をおそれ、ずいぶんと優遇していました。仙台に入ってくる荷物を塩竈から荷上げするほか、いろいろな税金の免除があり塩竈株式会社佐浦さま 浦霞 酒ギャラリー蒸し上げた米を取出す作業かぶの町は発展するわけです。そのようなことから、多くの人が訪れるようになりました。そのころの仙台城下は、割と厳しく、いわゆる歓楽街の営業が出来ませんでした。それで、花街は塩竈に作られ、塩竈神社を大勢の方が訪れ、お酒の消費も結構多かったようですし、塩竈甚句にもそのような内容の歌詞があります。─ 浦霞の由来についてお尋ねしたいのですが。浦霞という酒銘を付けたのは、大正末期なんです。それまでは「富政宗」や「宮城一」などの酒銘を使っていました。明治から大正、昭和の初めにかけて、女性ですけれども家長だった祖父の祖母や祖父の兄が当時の文化人の方と交流があって、そういう付き合いの中で、「しほがまの浦の松風霞むなり 八十享保9年創業から290年となる宮城県でも有数の酒造会社「株式会社佐浦」さま。造られる銘酒「浦霞」は、宮城県のみならず日本各地で嗜たしなまれています。今回は、株式会社佐浦さまの佐浦弘一代表取締役社長をお訪ねし、弊協会仙台東事業所長の飯塚成光がお話をうかがいました。東北電気保安協会仙台東事業所長飯塚 成光酒 浦霞」の由来株式会社 佐浦 さま造りと塩竈「銘

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